日本には全国各地にいくつもお城がありますよね。どれも昔の戦国武将が建てた歴史建造物で、現在では観光名所として多くの人が訪れます。
ただお城の話をする時に、しばしば「天守閣」という言葉が出てきますよね?
そもそも天守閣は城とどう違ってるの?
「天守閣」ってなんとなく城自体のイメージと重なるけど・・・
大河ドラマや時代劇などでもよく出てくるのですが、どうも両者を混同してしまいがちですよね?
かくいう筆者もその1人です(;^^)
また天守閣が建築された当初から残っているお城を特に「現存12天守」と言って、国宝か重要文化財に指定されています。
記事の後半でこれらについてもざっと解説していきます、観光がてら訪れたいと思っている方はぜひ参考にしてみてください!
天守閣と城の違いって何?
単にお城と言いましても、みなさんがイメージするのはどういった建物像でしょうか?
西洋の城と言えば、ヨーロッパの中世時代に建てられた軍事用の砦、先の尖ったような建物、または王室や貴族の別荘のような建物のイメージが大きいですね。
ただ日本のお城と言えば、大河ドラマでもよく登場しますが、戦国武将や侍が住む建物で、何層にも重なり立派にそびえ立っている、というイメージが強いです。
そんな中で、お城と天守閣の意味を混同している方も多いと思いますが、実は全く違うものです!
簡単に一言で言いますと、城とは戦のための防衛施設のことを意味し、天守閣とは城の中に建てられた遠くを見渡すための高層建築物のことです。
上の写真は長野県にある松本城ですが、ちょうど右側に位置する高い建物がまさに天守閣です。多くは高い所に石垣を積んでその上に建てられました。即ち天守閣とは城の一部に過ぎません。
天守閣の役割とは?
基本的に天守閣というのは、専らお城のシンボルとしての役割が強いものです。
昔の大名が外部に対して強く自分の権威をアピールしたい、という意味合いで建てられた側面が強いわけです。
「見よ、この素晴らしい天守閣を!圧倒的ではないか我が軍事力は!」
なんていう感じですね(;^^)
そのため戦や政治面などでは必ずしも要りません。むしろ目立つので敵にとってはいい目印になります。
また遠くを見渡しやすいと言いましても、基本的に遠くを見渡すには城の中にある櫓で十分です。
戦国時代はそれほど戦の数も多く戦国大名が己の力の強さをアピールしたかったり、城の中でも贅沢な暮らしをしたいという欲求が強かったとも言えますね。
ただそうは言っても天守閣自体はあくまでシンボル的役割が強かったので、居住としての役割はありませんでした。
ほとんど貯蔵庫として使われたとされていますが、唯一織田信長だけは天守閣に住んでいたそうです。
しかし江戸時代以降は戦の数も減った上に、徳川将軍が天下人となって諸大名が己の権威の強さをアピールする必要も薄れたので、天守閣を建造する城は激減しました。
その証拠に1657年に起きた明暦の大火で焼失した江戸城の天守閣も、当時の幕府が城下町の復興が優先だと判断され結局再建はされませんでした。
天守閣と天守の違いって?
今では日本の城の象徴的建物としても普及した天守閣という名称ですが、実は正式名称は違っていました!
天守閣とは正式には天守と呼び、これは建築学における学術用語です。日本初の天守は織田信長が建築した安土城だとされています。
天守閣というのはあくまで俗称で、これは明治時代に庶民の間で使われ始めました。
因みに“天守”という名前の由来は様々ありますが、キリスト教で「神」を意味する「ゼウス」を宣教師が「天主」と訳し、その天主を高い建物に祀ったことから来ている、という説が有力です。
また沖縄県にも首里城や勝連城といった城(沖縄地方ではグスクと呼ぶ)はありますが、文化圏が違っていて天守という概念が存在しません。
天守閣と本丸の違いって?
日本の城の象徴的建物は天守閣ですが、もう一つややこしい言葉で“本丸”があります。
本丸も意味的にやや天守閣と似てるんじゃないかと思いがちですが、こちらは建物ではなく区画を指します。
日本の多くの城が外堀と内堀と二重に堀がある構造になっているのですが、本丸とは内堀の内側を指します。
上の画像で赤く塗っている部分が本丸です。城主の住居である御殿があったり、政務を行う政庁を建てられたのが本丸です。
天守閣が建てられているのもやはり本丸になります。
現存天守って何?
現存天守とは、日本の城の天守のうち江戸時代又はそれ以前に建築され現代まで消失することなく保存された天守のことです。
現存という形なので近現代に復元された天守や模擬天守は含みません。(大阪城や名古屋城、小倉城など)
特に1954年の富山城の模擬天守を建設した以降の昭和30年代から40年代にかけては、「天守閣(お城)復興ブーム」と呼ばれ多くの天守の復興が行われました。
現在は12の天守が現存天守という扱いになっていますが、戦前には20の城の天守が現存していました。
しかし水戸城・大垣城・名古屋城・和歌山城・岡山城・福山城・広島城の7つの天守が戦時中の空襲で焼失して、1949年には松前城が失火によって消失しました。
江戸時代以降は先述したように天守がある城が建築されることはほとんどなくなりました。現存する12の天守は全て戦国時代か江戸時代初期に建てられたものです。
現存12天守の紹介
では現存12天守について詳しく紹介していきます、場所で見ると西日本に多く点在することがわかります。特に愛媛県は都道府県の中で唯一現存天守が2つあります。
弘前城(青森県弘前市)
- 別名:鷹岡城
- 築城年代:1611年
- 築城者:津軽信枚
津軽を平定した津軽為信の子の津軽信枚が築城した城です。本丸だけが石垣造りでその他の曲輪は土塁で造られています。
また築城時の天守は五重でしたが、落雷により焼失して江戸時代後期に本丸の辰巳櫓を改築して天守の代用としました。これが現存する天守となっています。
松本城(長野県松本市)
- 別名:深志城
- 築城年:1593~94年
- 築城者:石川数正・康長
黒漆塗りの下見板張りという質素な見た目ですが、漆黒な見た目は遠くから見ると非常に美しく国宝にも指定されています。
本丸正門の復元された黒門は侵入者が直進できない枡形門で、一の門が櫓門、二の門が高麗門になっています。二の丸跡北西隅の御金蔵蔵も名所です。
丸岡城(福井県坂井市)
- 別名:霞ヶ城
- 築城年代:1576年
- 築城者:柴田勝豊
現存する天守では最古の城とされます。ただし建築様式や石積法からもっと後の時代に造られたという説もあります。
古風な見た目と様式が特徴で、現存12天守の中では粘土瓦の代わりに石瓦が葺かれているのが特徴です。
犬山城(愛知県犬山市)
- 別名:白帝城
- 築城年代:1537年
- 築城者:織田信康
織田信長の叔父である信康が尾張と美濃の国境に築城した城です、国宝にも指定されています。
標高88mの丘の上に造られたおり、城の背後は木曽川に面している絶壁です。春の時期は遠くから見ると満開の桜の中に佇んでいる姿が凛々しく見えてまさに絶景です。
彦根城(滋賀県彦根市)
- 別名:金亀城
- 築城年代:1604年
- 築城者:井伊直継・直孝
2017年に放送された大河ドラマに登場している井伊家によって築かれた城です。国宝にも指定され、金亀山(彦根山)に築かれたことで金亀城とも呼ばれています。
戦国の世に相応しいほどの実戦的な城ですが、金箔の飾金具が用いられているなど見た目にも凝っています。
姫路城(兵庫県姫路市)
- 別名:白鷺城
- 築城年:1580年・1601年
- 築城者:豊臣秀吉・池田輝政
黒田重隆の居城を豊臣秀吉が1580年に改修した城で、関ヶ原の戦いの後は池田輝政が入城して大改修を行いました。
日本の城の中では最も美しい城と言われていて国宝にも指定、大きさもさることながら白漆喰で塗られた白亜の外壁と屋根や破風の構成美、技巧的でかつ実戦的な技術など見所は山ほどあります。
松江城(島根県松江市)
- 別名:千鳥城
- 築城年代:1607年
- 築城者:堀尾吉晴
山陰地方に現存する唯一の天守で、国宝にも指定。敵を欺くような石落、総桐の階段、井戸を設置するなど天守内部での戦闘を想定した造りとなっています。
備中松山城(岡山県高梁市)
- 別名:高梁城
- 築城年:1240年・1605年・1681年
- 築城者:秋庭重信・小堀遠州(政一)・水谷勝宗
城自体が建設されたのが13世紀中頃とされていますが、改修されたのは江戸時代に入ってからです。また標高430mの小松山山頂に建てられていますが、山城に現存しているのはこの城だけです。
小松山を中心に近世城郭に改築されています。主要な曲輪は階段状に配され、高石垣が強固な防御線を構成しているのが特徴です。
丸亀城(香川県丸亀市)
- 別名:亀山城・蓬莱城
- 築城年:1597年・1643年
- 築城者:生駒親正・山﨑家治・京極高和
高石垣上に聳える城で見ごたえがありますが、天守自体は三重三階の高さ15mほどで江戸時代から残っている天守では一番小さいものです。
また玄関先御門は城門としては珍しい薬医門(門柱の後ろに控え柱が2本設けられた門)となっています。
松山城(愛媛県松山市)
- 別名:金亀城・勝山城
- 築城年:1602年
- 築城者:加藤嘉明・蒲生忠知
この城の見所はなんといってもその天守群にあります。勝山山上を削平して天守曲輪を置き、天守・小天守・隅櫓(城郭の角にある櫓のこと)・門をつなげて防御を厳重にしています。
高い石垣はいくども屈折させ、入口の外側に方形の小さい空間を築いた構造になっています。
また美しい曲線を描く高さ15.5mの高石垣の上に立つ太鼓櫓は敵を迎撃する役目を担っていました。
宇和島城(愛媛県宇和島市)
- 別名:鶴島城
- 築城年:1596年
- 築城者:藤堂高虎・伊達宗利
藤堂高虎が6年をかけて近世城郭化した平山城です、現存天守の中では最南・最西端にあります。
江戸時代初期に改修された際には使い勝手や装飾性が重視されましたが、実際には全ての窓の下に鉄砲掛けが合って防衛施設としての役割もあったそうです。
高知城(高知県高知市)
- 別名:鷹城
- 築城年:1601年
- 築城者:山内一豊
関ヶ原の戦いの後に山内一豊が築いた近世城郭の城ですが、1747年に焼失して再建されたのが現存する天守となっています。
天守に接続する本丸御殿は懐徳館と呼ばれていて、現存する貴重な御殿遺構となっています。
まとめ
以上天守閣と城の意味の違いと、現存12天守について紹介しました!
天守閣は古代の日本人の知恵によって築かれた美しい建物で、まさに日本の観光名所にふさわしいですね。
中でも長野県の松本城では毎年桜の季節になると夜桜を眺めるイベントがありますが、この夜桜が本当に美しいと評判です!
他にも弘前城の『弘前さくらまつり』が有名で、やはり美しい天守閣と桜を拝めます!
これを機に天守閣巡りを始めてみてはいかがですか?